mmさん投稿作品 生保レディバトル 〜社運をかけた闘い〜
一体何なんだろう。急に本社へ赴けとは。
営業から戻るとトレーナーの崎田からすぐに本社へ行くように言われた。
本社に着くなり会議室に案内された。一人待っていると,女性が入ってきた。
― 田口菊美さんですね。
― はい。
― 今から社長室に御案内致します。
どうして社長室に。先月の営業成績は確かに良かったが,支社長に食事に連れて貰ったし。些か緊張した。
― 田口様をお連れ致しました。
彼女は秘書のようだった。
― 失礼致します。
入口にたたずんでいると,
― どうぞ。田口君。
社長よりソファーをすすめられた。
― 失礼致します。
― 田口君は,先月我新宿支社ではbPの売り上げだったそうだね。いや結構。嬉しいよ。
― ありがとうございます。
― 今日は折り入って君にお願い致したい事があって,御足労願ったのだが。今から言うことは外へは一切口外せぬよう願いたい。いいかね。
― はい。
― 実は我東洋生命は帝國生命と合併する話が持ち上がっている。しかし,これはまだ両社とも社長限りの話で双方とも他の役員には諮っていない。昨今金融界巡る状況は君の御承知の処だろうが,やはり我社もその例に漏れず資本の拡大を図る必要がある。両社が合併すれば業界bPとなり,他の追随を許さなくなる。私も是非この合併を実現したいと考えている。
― はい。
― ところが,当方はあくまで対等合併を願っているところだが,帝國の市田社長は頑としてそれを受け入れない。しかし当社も契約者の利益を守らなければならない。ここは譲れない。
― はい。
― あるとき,市田社長が我帝國の営業職員は,愛社精神が旺盛で顧客のためなら何でもする,と豪語した。そこで我社も同様ですと言葉を返した。君がキャッシング・Sevenさんで帝國さんとぶつかったとき,レスリングの試合で決めたらとお客様に言われて,勝って見せます,そう応えて契約を戴いたお話をした。田口君あっぱれだよ。
― ありがとうございます。
― 市田社長もうちだってレスリングの試合だっていとわないと。すると「どうだね。君のところの営業職員がうちの職員にレスリングの試合に勝ったら,合併比率については譲ってもいい」と。望むところと,こんな風に売り言葉買い言葉的に言ってしまった。
― まさか。
― そのまさか何だ。一つ君に我東洋生命の為に一肌脱いで欲しい。
― そんなの出来ません。レスリングなんかしたこともありませんし,余りにも責任が重過ぎます。
― どうして君に頼んだかというと,君は中学,高校,大学とバレーボールをしていたね。実は私の娘もバレーボールをしていた。君の大学と娘の大学との試合を観戦したことがあった。君のスパイクは素晴らしい。その優れた身体能力もってすれば今回,きっとその期待に応えてくれるものと考えた。帝国さんは既に今回レスリングの試合に挑む職員が決まっているようだ。もう後には引けない。頼む。社長自らこうやって君にお願いしているんだ。
社長は,プロファイルを取り出した。
― 帝國さんはこの娘のようだ。
森田華那。この娘?Sevenさんで私とぶつかった娘だった。私と同じ今年大卒で入社した者同士だった。
― 対戦は今年の採用者同士でいうことになった。こちらが対戦相手を用意出来ないとなると合併交渉は苦渋に満ちたものになる。宴席でのこととはいえ,あちらが用意したとなるとこちらとしても後には引けない。勿論勝ってほしいが,負けたらからといって何も君を責めたりはしない。不利益にも扱わない。君の今後の処遇は十分配慮させてもらうよ。君の我社に対する愛社精神を信じ,この様にお願いしているのだ。
暫く沈黙が続いた。受けるにしてもやはりその責任が重い。
― やはり無理か。
社長の沈痛な面持ちを見ると,気持ちが揺らいだ。
― いつまでに御返事を。
― 実は今日,市田社長とアポイントメントをとっている。その場で御返事することになっている。
― 分かりました。是非させてもらいます。勝てるかどうか分りませんが,我社の為に全力でぶつかります。
― ありがとう。じゃあ今から同行願うね。
― ええ。
― 帝國さんもこの森田さんを連れている様だ。君も一緒に。
― 分かりました…。
地下の駐車場で先に待つように言われた。社長が駐車場に降りてくると運転手がドアを開けた。
― 田口君。
社長に促され私は社長車に乗った。流石大手生保の社長ともなれば専用車はベンツなんだと思った。滅多なことでは社長車に乗れない。上気した。
赤坂のチャイニーズレストランに連れられた。個室が用意されていた。そこには帝国生命の市田社長と森田華那が既に待っていた。彼女は既に私に気付いた様だった。
― 松岡君,ずいぶん待ったよ。
― すみません。
― ほう。
市田社長は私の顔を繁々と見つめた。
― この娘かね。いやなかなか別嬪さんだね。うちのもそうだが。
― こちらが田口君です。
松岡は私を紹介した。
― 田口菊美です。
― こちらが今度対戦する森田君だ。
― 森田華那です。
彼女とぶつかったときのことを思い出した。二人並んで契約の説明をしたことを。あのとき,お客様からレスリングの試合で言われとき,彼女ははぐらかした。でも私がきっぱりと「勝って見せます。」言って彼女に勝てた。
― いや松岡君,君のところはもう諦めたか思っていたよ。なかなか根性のありそうな娘さんだね。うちの娘もこう見えてもなかなかどうして。新人ながら我東京西支社では先月1の売り上げだったからね。学生の頃はバスケットで鍛えたそうだ。今回は期待に沿ってくれるものと信じているよ。
― うちの田口も先月新宿支社1でしたよ。お互いにぶつかったらおたくも苦戦を強いられたことと思いますよ。
松岡はこう切り返してくれた。
― お互い優秀な職員を持てて幸い。
市田社長は上機嫌のようだった。
― 二人とも同い年だね。どうだね。試合に臨むにつきその抱負を話してもらえないか。森田君どうだね。
― はい。是非勝利して,我社や契約者の皆様に貢献致したいと思っております。
― では田口君。
― 私も同様です。我社の為にも必ず勝利します。
― お見事。二人とも格闘技の経験が無いようだが,今回それがお互いの条件なのだ。為るべくイーブンでと思って。会場はとある団体の道場で。うちの森田が,顧客の依頼で某町会のイヴェントで女子プロの大会をお世話させてもらったことがあって。そのつてで今回リング等必要な物は借用できる次第となった。この娘ったらクライアントの為に女子プロに出向いて交渉してくれた。御蔭で契約も取れたようだし。レフリーもそこのレスラーの子が引き受けてくれるようだ。
― でその日時は。
松岡が尋ねたとき,私は彼女を見た。生保レディはぶつかって負けてはへこみ,勝って自信をつけるもの。私に負けたとき矢張りへこんだのだろうか。
― 来月の10日の日曜日でどうかなあ。立会いは女子プロの面々と私と松岡君のみで。
― 了解致しました。
会食の間,両社長は業界を巡る世間話をしていた。私達二人には時折話題を振られたが当たり障りの無い受け答えをお互いにした。
宴もたけなわであったが,いよいよお開きときになった。
― 本日の調印式はこれにて。じゃ二人ともこちらへ。
市田社長は私達二人を手招きし並ばせた。
― 最後に検討を誓い合う握手をしては。
向かい合ったとき,彼女は凛としていた。
― よろしくお願い致します。
そう彼女はその手を差し出し,私をきりっとした表情で見つめた。あれからというもの彼女とは営業ですれ違っても目を合わすことは無かった。でも今は違う。気迫にみなぎっていた。
― こちらこそよろしくお願い致します。
やはりバスケットをしていた為か彼女の握力は中々のものだった。
その帰り社長車で最寄りの東京メトロの駅まで送ってくれた。
― あの娘目すごかったなあ。
松岡はつぶやいた。自動車は東京メトロの入口に止まった。
― 今日はありがとう。本当に御礼の言葉も無いよ。さてこんな所を誰かに見られたら,大変だ。もう遅いし気を着けて。
― はい。ありがとうございました。
自動車が見えなくなるまで,社長を見送った。社長も気が付いたらしく手を振ってくれた。
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翌日出社すると朝礼の後支社長に呼び出された。
― 今日から,千葉の関東プロレスさんの方を担当してもらう事になった。本社からの指令だから従う外はない。何でも帝國さんがそことのつながりでイヴェントのお世話をさせもらってから契約増につながった。そこで当社もそこと関係を築き同様に契約を取れとのことだ。アポ無しで頼むよ。
― 分かりました。
既に察しはついていた。女子プロの入門を兼ねてそこの担当に回された。宴会の後トレーニングウェアを持参するように社長から直々に言われていた。ロッカーのウェアをカバンに入れ,営業に向かった。1階のロビーに森田華那が居た。
― どうしたの。
― 貴方を待っていたの。
私は周りを見渡した。他社の生保レディと一緒にいるところを見られでもしたら大変。御法度なのだ。
― 今から関東プロレスさんに案内するから,一緒に来て。
― ええ。
関東プロレスに着くと女性と共に事務所へと連れられた。
― 帝國生命の森田です。こちらは東洋生命の田口さんです。
― 田口菊美です。よろしくお願い致します。
― 唯と申します。今日から二人の練習のお手伝いをさせてもらいます。
彼女はここの女子レスラーだった。
― 凄いはね。プロレスを体験する研修なんて。
― 実はここでの研修の成果を試す為に,田口さんとプロレスの試合をすることとなりました。
― ドラマでタレントさんにプロレスをここで練習してもらったことはあるけど。
― 精神の鍛錬の為です。
それから二人して受身,ボディスラムなどの基本技を教わった。練習を終えてロッカー室で着替えした。
― 貴方はいつこれを受けたの。
私は彼女に聴いてみた。
― ずっと前。
― 社長から直に。
― そう。
― 二つ返事で。
― そう。でも本当に実現するなんて。社長はどうせ東洋さんは用意できないって言っていたのに。
― そうだったんだ。うちの社長も帝國さんが生保レディを用意したってあせっていたわ。あのとき貴方とぶつかって,レスリング試合に勿論勝ちますって言って加入してくれた報告が社長の目にとまったの。貴方はどうでして選ばれたの?あのときのリベンジ?
― 違うわ。勿論あのときは悔しかったけど。うちの会社は社長自ら支社の視察に来るの。その折,支社長が私の例の町会のイヴェントの事で奔走していることを話したの。支社長は私がそんな事に手間を取られるのが馬鹿らしいって。そしたら市田は是非やりなさいって。市田は生保のトップとしては異色なの。何でも営業から支社長になって社長まで昇り詰めた人なんだって。常々こうやって社長になれたのも,営業職員である皆様のお陰ですって言って,ことある度に私達を励ましてくれるは。だからその御恩に報いる為今回引受けたわ。田口さんには絶対に勝ちますから。
― 私だって絶対負けないわ。
彼女の秘めたる闘志を感じた。主に都心の大企業を回っている私と違いときには飛び込みで営業をしている彼女にはたくましさがあった。
その後も契約獲得の為と称してプロレスの練習を続けた。過密ながら一通りの事はお互いに出来るようになった。試合を迎えるに当って唯さんと二人,事務室で打ち合わせをした。
― 当日のコスチュームだけど,準備している?
― いえ,まだ…。
私はまだ何も考えていなかった。矢張り水着?一応DVDを観たりして研究はしたけど。
― 私もまだ…。当日のお楽しみでどう?
― いいわ。
森田の提案に賛同した。
唯さんは続けた。
― 試合はサブミッション・マッチで行うわ。
― サブミッション・マッチ?
― それはギブアップのみで決める試合のこと。足四の字やコブラツィストとかやったけど,固め技でギブアップを取った方が勝ちになるのよ。打撃を加えるのは顔より下になるから,フォールを奪うのはなかなか難しいと思うわ。だからそうしたの。
自分の頭でどれほどのサブミッションホールドが使えるか考えた。どうせレスリングって言ったところで取っ組み合いしか出来ないから,お互いに接近戦で闘う方がまだ様になるかもと思った。
いずれにせよいよいよリングでお互いに全力でぶつかるまで,そう言い聞かせた。
V
いよいよ当日を迎えた。ロッカールームでは彼女と一緒だった。私達二人は既にレスリングスーツに身を包んでいた。彼女はAラインのスカートのワンピースで,私も同じく紺のスカートのワンピースだった。お互いに目を合わせる事はなかった。待機していると市田,松岡の両社長がロッカールームに入ってきた。
― お二方とも,くれぐれも怪我しないように。森田君,後武運を祈るよ。
市田社長は彼女の肩をポンッとたたいた。彼女はこわばっていた。矢張り緊張しているようだった。
松岡も,私の肩に手を載せた。
― 田口君,期待しているよ。
― はい。
きっと自分もこわばった顔をしているんだろうなあと思った。
唯さんが入ってきた。
― じゃ始めるわよ。
彼女の先導でリングに連れられた。リングインし,それぞれのコーナーに分かれた。
― 両選手中央に。
唯さんに言われ二人リング中央に行った。彼女から一通りの注意を聴いた。その間私と森田は火花を散らしていた。消してお互いにその目をそらすことは無かった。
唯さんに促され握手をした。そうしてお互いにコーナーに戻り,ゴングが鳴った。
森田に求められて力くらべから入った。膠着が続くと彼女から仕掛けてきた。森田は私のボディに膝蹴りをいれた。ひるみ膝をつくとすかさずスリーパーホールドをかけた。
― ギブしろよ。
プロレスなんだ。でも私は必死にもがき落ちないようした。彼女は一瞬ひるんだ。もがきながら何とかロープブレイクで逃げられた。けれども森田は休まず攻めてきた。コーナーに振ると,膝を飛ばしてきた。タイミングはかりそれをはずすと彼女は自爆した。
― なにやってんだよ。
森田にボディスラムで投げつけた。そして彼女の両足を取りボストンクラブをかけた。
― ギブアップ?
― No。
森田もロープへ逃げようと必死だった。私はシングルボストンにして彼女の体を思い切り反らした。でも彼女はそれに耐えロープに逃げた。
― 休んだらだめ。
彼女の足を引きずりリング中央で足四の字を決めた。今度は悲鳴をあげながらその手で顔を負った。苦悶の表情だった。
体を反らしもっと絞めあげてやった。しかし森田はそれに耐え体勢を変えようと体を回転させた。そして何回か回転させロープに掴まった。
― ブレーク。
私は技を解き彼女が立ち上がるのを待った。森田の首を取りにいこうとした。彼女は私の手を取るとそのまま一本背負いでリングに投げつけた。
うずくまっていると髪を引っ張って私を立ち上がらせるとその体勢でコブラツィストにはいった。
― ギブアップ?
顔を横に振るしか出来なかった。もがき何とか解いたが,リングに手を着いたまま立てなかった。
森田は私の足をとり仰向けにした。そしてサソリ固めの体勢に入った。
決められるともう意識が朦朧としてきた。とてもロープへは逃げられなかった。
唯さんは心配そうな眼差しで私を見つめていた。
― ここまで。
そう言って彼女はゴングを要請した。
レフリーストップ。私は負けた。
森田はレフリーから勝ち名乗りを受けた。彼女は一礼し,私に手を差し伸べた。それで彼女の手を借りて立ち上がったが,よろけてしまい彼女に抱きついた。
彼女も私をそのままハグしてくれた。
― ありがとう。
森田はそう言って私をさらに抱きしめた。試合には負けたがその達成感の為か負けた悔しさは無かった。
それから二人してリングを降りた。市田社長は森田と握手をし,
― 森田君,おめでとう。
と,彼女を称えた。
― ありがとうございます。
― こちらこそ感謝を述べなければ。我社の為にここまで頑張ってくれてありがたいよ。
私はその光景を見て改めて松岡に申し訳なく思えた。
― 社長,申し訳ありません。
― いいんだよ,田口君。我社の為にここまで頑張ってくれたんだから。
松岡はそうねぎらって肩をたたいてくれた。満足げな表情をしていた。
― どうだね,最後にもう一度握手をしたら。
市田社長から促された。
― はい。
森田が手を差し伸べた。
― おめでとう。
私はこう言って両手で彼女の手を握り締めた。すると彼女も両手で私の手を握り返した。
― ありがとう。あのとき,貴方とぶつかったとき,またぶつかるときが来るとは思っていたけど,本当にレスリングでぶつかるなんて。でも貴方本当に強い。合併してぶつかれなくなるのはちょっと寂しいけど。
二人の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。暫しその健闘ぶりを称えあった。
― そうだ,松岡君,折角の田口君のその健闘に何か応えてやらにゃいかんと思うが。新宿周辺は君のところの新宿支社をそのまま存続されるってどうだ。
― それはありがたい。
市田社長の提案に松岡は嬉しそうだった。
― 田口君,君のお陰だ。
― 市田社長,ありがとうございます。
― いや,君の健闘ぶりは実にあっぱれ。君といい森田君といい本当に素晴らしい職員持てて社長冥利に尽きるよ。後日是非二人を今回の労をねぎらって宴席に招待するよ。
二人して,
― ありがとうございます。
と礼を述べた。
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ロッカールームで着替えを終えた。二人ともスーツに身を包んだ。
― やっぱり私達の戦闘服はこれね。
森田の目は輝いていた。
― うん。
― 御免ね。痛かったでしょう。
― 貴方こそ。お互い様よ。
― 貴方というライバルがいたからこそ,こうやって闘えた。正直貴方に勝てるとは思わなかった。あのぶつかったときの貴方のたくましさってほんと凄かった。またぶつかったらどうしようかって。レスリングで勝った今でももし貴方とぶつかったらやっぱり負けちゃうって思うわ。
― 貴方に負けて思ったわ。私には貴方ほどの気迫が欠けていたと。ほんと見習わないと。またここに来て試合しない?今度は絶対に勝っちゃうから。
― いつでも挑戦を受けるわ。でもそのときはお手柔らかに。
― こいつ。
二人向き合い大いに笑った。そして森田はそっと私の肩に手をやりそれから抱きしめた。
― 貴方に鍛えられてもっと強くなりたい。でも闘いは職場とリングだけ。これからも仲良くしてね。
― こちらこそ。
私と森田は暫く抱擁を交わした。ありがとう,そう心の中でつぶやいた。